妙なる囁きに 耳を澄ませば
          〜音で10のお題より

 “遠 雷"



世界各地のどの宗教においても、雷は神の怒りと言われており。
ギリシャ神話の主神ゼウスや、
ローマ神話の主神ジュピターが雷神であるがため、
落雷という現象は、その怒りを買ったとされている。
こちらは主神ではないが、北欧神話でも同じく雷神トールが斧を、
インドでは帝釈天の元となった武神“インドラ”が怒りの鉾を投げたものとされ、
キリスト教圏でも、雷は父なる神の怒りの現れとされていて、
俗説ながら 罪人へ落ちるものとまで言われている。



そういえば、
出がけの立川の空にも遠い雷の気配が届いていたなと思い出す。

 「父さんも歯痒いのかなぁ。」

ゆるやかな弧を描く広大な存在。
ところどころに白い雲がまだらにかかり、
海もまた、場所によっては濁った色合いではあるものの。
それでも“水の星”として遜色のない、
瑞々しくも青々とした地球を取り巻く酸素の限界、大気圏と呼ばれる空間を、
更に眼下に見下ろすほどの高みに、危なげなく立っている存在があり。
広大な空間にそれぞれ間を空けて散っている彼らだが、
ほとんどが地上の人の和子と変わらぬ身の丈ながら、存在感は不思議と大きく、
目視で何とか立ち位置が見える者同士は、
特に強く念じるまでもなくして会話もこなせるようで。

 「御主がどうかされましたか?」

彼へと何か言って来られたものかとでも思ったか、
イエスの頼もしい守護でもある天使長、
濃密な琥珀色を滲ませたブロンドも麗しい大天使が、
遥かに遠くからそんな声を飛ばしておいで。

 「ううん、そういうんじゃないんだ。」

独り言だよ、ごめんねと。案じさせぬよう軽やかに応じ、
気を取り直してのあらためて、周囲をゆっくりと見回したけれど。

 「……。」

見渡す周囲は何とも森閑としている空間だ。
此処は特に“合(ごう)”という錯綜結界を結んで仕分けた亜空間なので。
すぐそこにいるように見えて、
実は…幾つもの咒というまじないをくぐり抜けねば
触れることさえ出来ない障壁に遮られているので。
人が飛ばしている衛星でも探知は出来ない場所でもあって。
地上から顎を反らして見上げる分には、
遠いからこそだろか、目一杯のロマンが散りばめられてる気がしていたが、
実際に来てみれば何もない空虚な空間でしかなくて。
藍色に満たされたその先は暗黒の、
どこまでもという底無しだのに、何もない空間。

 “ウチの六畳間の方が充実してるよね。”

テレビもDVDプレイヤーもPCもある、卓袱台もあるし、
最近とみに愛嬌が増したような気のするJr.もいるし。
身一つで降臨して来たはずなのにネ、
押し入れは季節毎の整理がもう大変で、

 “それより何より、大好きなブッダがいるし♪”

賢くて優しくて、何でも出来て働き者で、
勉強家で負けず嫌いで、堅物なそのくせ うんと可愛くて。
じっと見つめていると もじもじ落ち着かなくなって、
もうもう恥ずかしいから勘弁してよと真っ赤になるし、
キスをねだると えいって思い切らないと“うん”て言えないほど純情で。
いや、あれは生真面目だからかな?
そんなまで思い切ってのことだからか、
まだまだキスのあとに螺髪が解けちゃうのが、
ちょっと気の毒だけれど、それもまた可愛くってvv

 どうだ森羅万象、
 ウチの六畳には逆立ちしたって勝てないだろう、と

間接的に父上へケンカ売ってどうしますかという、
一方的な 内的帰結に満足しておいでの和子様だったりしたのだが。

 「……。」

お名前を引っ張り出した愛しの伴侶様、
その麗しの面影までもが、
胸と脳裏とへ引っ張り出されてしまったようであり。
意気軒昂に構えていたはずが、
何とはなくのしおしおと、
その肩が落ちてしまうイエスでもあって。

 “今頃、君は何しているのかな。”

恐らくは梵天さんから話を聞いてもいるだろうから、
浄土側が構えておいでの防衛の布陣にくわわって、
護衛の陣営を組んでいるか、一心に念を捧げておいでか。
何とも慌ただしい出掛けようだったから、
別れ際に ろくにお顔を見れなんだのが心残りでならなくて。

 “…いやいや、帰ったら うんと甘えるから良いんだけれど。”

ああでも、どこへ出掛けるかくらいは言った方がよかったな。
言ってくれなきゃって、
あのブッダが泣くほどになって 叱られたばかりだのにな。
最後に見た格好のそれ、不安そうだった横顔を思い出し、
またぞろ懲りない失敗の予感がして、
はぁあと遣る瀬ない吐息をつけば、
そんな身動きも伝わるか、肩口や足元の装備がかちゃりと堅い音を立てる。
ずんと大昔の“大聖魔戦争”は話に聞いただけなのでよくは知らぬが、
その折には、勇ましき破壊天使のウリエルは元より、
ミカエルや他の大天使たちもそれぞれに、雄々しき甲冑をまとって戦ったそうで。
そして今、イエスもまた、
胴当てやら脛当て、籠手などという仰々しい武装をまとわされている。

 『あくまでも防御の陣を張るまでのこと
  戦いをしにゆくのではないでしょう。』

相手が何物であれ、戦いの姿勢を最初から取るなぞとと、
このような物騒ないでたちとなること、
強くきっぱりと拒否したイエスだったのだが、

 『これは護身のためのもの』

まとわねば前線へは出せませぬと、
こたびの作戦の統括関係者より先に、
他でもない、日頃は寡黙なウリエルからきっぱりと言い渡された。

 『瘴気への楯になるというのは、
  ですが、身を投げ出すという意味ではありません。』

あなたが損なわれれば、世界は大きく光を失うのです。

 『それに、終末後の世界を誰が支えるのですか。』

まばたきさえせぬままの彼から説教されている間に、
ガブリエルやラファエルに手際よく装備されてしまい、
使徒らを初めとする聖人らに見送られ、
この空域まで至ったのであるけれど。

 “自分で脱げないとは思わなんだ。”

なんて複雑な継ぎ目だろかと、
期せずして…荘厳な甲冑に相応しくもいかめしく、
むうとお顔をしかめてしまったヨシュア様。
此処についちゃったら誰にも止められまいと、
肩やら手首やら、あちこちへ手をかけたものの。
そこまで読まれていたものか、
それともイエスには武装への知識が足らなんだからか、
外し方が一向に判らないのだから世話はない。

 “こんな挑発的で好戦的な格好なんて、
  ブッダに見られたら叱られちゃうじゃないか。”

自身の体内の白血球や抗性へまで、
戦ってはならぬというアヒンサーを説こうとしたほどの人なのに。
此処に来た意味は重々判っていたものの、
それなりの覚悟だってして来たはずだったものの、
何とも殺伐とした雰囲気なのへは閉口しきり。
イエスにはちょっぴり大きめで、
顎を引いて肩をすぼめるとぶかぶかになる甲冑は、
見ようによっては、
小さな子供が宇宙服の中に埋もれているようでもあって。

 “そもそも、こんな仰々しいものをまとったとて、
  果たして効果があるものかも判らないのにねぇ。”




     ◇◇



航空便やら ヤコブのはしごやらを使うどころではない、
それはそれは緊急な召喚であり。
大天使らに抱えられて運ばれた雲上、天国の門の前には、
そういう調整をしたのだろう、昇天して来た魂たちの姿はなく、
ただ一人、門の鍵を任されているイエスの使徒のペトロが、
何でもない顔を装いつつ待っていて。
とはいえ、

 「イエス様。」

その言動から
普段は若いのだか大おとななのだか微妙な風貌を、
さすがに今は厳かにも引き締めており、

 「御足労様です。」

会釈として頭を下げつつ、重々しくも門を開く。
何か語りかけたそうな雰囲気はあったが、
そこはわきまえてだろう、何も言わぬまま見送ってくれた。
その先にも いちいち途轍もなく広い空間が広がるが、
今は一刻をも争うとばかり、
再び天使らに抱えられ、雲の平原を大急ぎで通過して。
やっと見えた最初の宮殿へと至れば、

 「まずはお着替えください。」

冷ややかな石作りのアプローチへ降り立った途端、
こちらに常駐の大天使たちが迎えてくれたが、
恭しくもやさしい声音ながら、そんな声が まずはと掛けられた。
下界からやって来た、そのままのいで立ちだったイエスであり。
こんな時にドレスコードを問うているのじゃあなくて、
天界には天界への適応機能に満ちた素材の衣装というのがあるためで。
幼い風貌の天使たちに連れられて、長い通廊を経て向かった奥向き、
樫の木だろうか緻密な細工が施された
幾つ折れだろうか、大きなパーテーションで取り巻かれた空間へ導かれ。
まずはと彼へ渡されたそれは、白基調の目の詰んだ厚絹らしきもの、
半分にした楕円形の布を体に巻き付け、
袈裟掛けにした余りを肩から胸元へ降ろして羽織る、トーガという長衣であり。
その上へ、赤みの強い茶のショールを重ねると、
足元もいつの間にやら編み上げのサンダルに履き替えられていての、
天界での普段着、いやさ、正装への衣装替えが完了したものの。

 “何でかな…。”

間違いなくこちらが自分の真っ当な衣紋であるにもかかわらず、

 “コスプレしている気がするんだよね。”

腰から下の足元がすかすかして落ち着けないなぁと、
地上着こそ当たり前という困った感覚が身についていることへ、
こんな場合に気がつくなんて、
結構、鷹揚なイエス様でもあって。
それでも表向きの表情は、落ち着いたそれのまま、
落ち着いた足取りで、
此処からはこちらの担当である大天使らに導かれて向かったのが、
一体どんな巨大な存在が通るためのそれかと、
見上げたそのまま仰のけに引っ繰り返りそうな、
威圧されそうなほど大きな二枚合わせの大扉の前であり。
とはいえ、イエス自身は何ら臆することもなく歩を進める。
自然に開いた扉の奥向き、
荘厳な円柱が幾つも居並び、
その真ん中を通っておいでという誘導のための
美しい装飾がなされた床をやはりなめらかな足取りで進んでゆくと、

 「父さん。」

幾重にも重なり合った更紗や絹の緞子の向こう、
父と子と精霊とに分けられている天使たちや、小さき者との顔合わせ、
謁見のときにだけ降臨なされし“お座し(おまし)”の間にいらっしゃる、
崇高偉大な存在へ、それは気さくにお声をかけておいで。
何はなくとものご挨拶と、
ごめんネこんな場合だからお土産はないのという謝罪と。(おいおい)
下界で休暇中の自分まで呼び寄せるほどの、
大変なことになったらしい旨のおおよそを通じ合わせ、

 「うん。詳細は統括の方々に訊くよ。」

だからね、安心していてと。
にこり微笑って辞去の礼を示すと、
ほんの短いものだったが久し振りの再会も終しまい。
扉前に、その統括長官から寄越されたのだろう存在の気配を察したからで。

 “うん。悠長に構えてはいられない。”

地上よりもおっとりしているはずの天界だのに、
地上よりもせかせかと慌ただしくて。
そんなペースに多少は慣れている身なことを、
良かったなぁと後々に感じ入る彼でもあるが、今はさておき。

 「イエス様。」

そこへと控えていたのは力天使の青年たちだ。
天使と呼ばれる存在には能力の大きさや質による格付けが九つあり、
力天使というのは五階位にあたる存在で。
神の奇跡や裁定を実現象として執行するのがお役目であり、
イエスが天界へ召されたおりに付き添ったのも
この階級の天使だとされている。
(ちなみにミカエルら大天使は八階位。
 聖霊という 人と直接接して働きかける立場にあり、
 また、地獄との戦となれば甲冑をまとって戦ったりもした。)

 「ザドキエル様がお待ちです。」
 「え? 彼が統括を?」

四位の主天使にあたる、ザドキエルはというと、
あの、息子を捧げんとしたアブラハムを諭したことでも知られており。
この階位の天使らは、神の威光を人々へ知らしめるのがお役目だが、

 “そこまでの大事なんだ。”

人の和子らと関わるという立場では、
ともすれば実質“最高位”かもしれぬほどの天使をあてるだなんて。
上から力づくで豪快に処す訳にもいかず、
さりとて繊細微妙な気遣いだけでは間に合いそうにない、
そんな広範な影響を案じなくてはならないとする事態なのであり。

 「イエス様。」

力天使らに導かれて到達した堂は、
一見すると、円柱のみに支えられ四方八方へ大きく開かれた、
素通しの吹き抜けのような、無防備であっけらかんとした場所に見えたが。
外部に向けては強固な錯綜障壁が張り巡らされてあり、
物質はおろか、霊体や念、ともすれば風でさえ、
外部からはそうそう易々とは通過出来ぬという防御の堅さであり。
そんな守りに取り巻かれたホールは大層広く、
上へも吹き抜けになっている高い高い天井へ向けて伸びる
螺旋のような雲海の中に、階段状の席を数え切れないほど連ねていて。
その一つ一つに長衣姿の能天使らが就き、
真剣な面持ちで机上の光物質の版を展開している。
そんな彼らを、やや離れた張り出し壇の座から見渡し、
問題があれば即座に応対出来る構えでいるのが、
ザドキエルという主天使で。
伝令が知らせるまでもなくのこと、自ら イエスの到着を知ると、
結構な高さがあった指揮席からふわりと降り立って来られ、

 「お休み中のところ お手数をおかけします。」

天界の者だけでの対処ではどうにもならぬという事態であることを、
自分たちの不手際だと詫びる彼であり。
どちらかといえば壮年手前という風貌、
風格もあっての、だが近寄り難いまでの堅苦しさはまだ寄せぬ、
そんな頼もしさをたたえた彼には、
イエスも随分と馴染みもあったので、

 「何を仰せか。」

突然の事態に誰の落ち度もありはしませんと、かぶりを振ったそのまま。
あなたのようなそれはそれは高位のお立場の方が
こたびの統括の任に就いたことこそ驚き。
それほどまでの難儀なのですねと、
表情を硬くし、コトの重大さへあらためての渋面を作って見せる。

 「ええ。まずはこちらへ。」

聖堂の中ほどに据えられた、それは大きな光版の前まで移動し、
そこに展開されている座標図を示す統括長様で。
問題が起きたと報告された高次界というのは、
そこで生まれた光が、地上を直接見下ろせるこの天界に到達するまででさえ、
何億年も掛かろうというほどの遠距離に位置する“場所”ではあるが、

 「何せ、相手は“負界”の瘴気です。」

本来、こちら側という“場所”には
片鱗さえ現れるはずがない存在だというに。

 よくもまあ察知し把握したということか。

 いやいや それどころじゃあない、
 もしかして向こうは向こうなりの活気が充満しており、
 それが満を持してはみ出して来ているのやも。

 そんな、それは理屈に合いませぬ。

 うむ、本来のありようで言えばあり得ぬ事態。

 だがな、そこへ何物かの恣意が加わっておれば、
 何が起きてもそりゃあ判らぬぞ、と

 「分析班の爺さんたちが、
  現実に起きつつある事態と判っているやらいないやら、
  そんなことまで言い出したその上に、」

最初に察知された場所、
数万億土、那由多ほどもの尋の先にいたはずの暗雲が、
不意に監視下から消滅し、

 「次に現れたのが、形而限界の亜空です。」
 「…それって。」

精神的なものと形を持つもの、
イデアと実現、思想と現実…という境目。
正体や理論は理解されつつも、
人の和子には空しいかな触れられぬ、
そんな存在がたゆたう界域との、
ぎりぎり境界にあたろう空間のことであり。

 「次空軸すら目茶苦茶な移動じゃないですか。」

世に言う瞬間移動というのは、
それがどんなにスタイリッシュな今時の代物でも、
原理原則は“目にも止まらぬレベルでの移動”であり。
抵抗を極限まで落とす必要から、
分子分解されるとかアストラル体に転変するとか、手法は様々あれど、
肝は“どれだけ早く目的地へ到達するか”なのであり。
宇宙空間と言えばで随分とメジャーになった、
座標一気飛びの“ワープ”もまた同じこと。
ファックスのように、
一旦その身を分解消去され、
データだけ送ってその場にある物質で再生されて現れるにしても、
到着先へ正確な情報を送らねばならぬし、
その場合は果たして“移動”と言えるものだろか…。
(送られたものってオリジナルじゃないしね。)
東京〜大阪間とか、地球から火星へとか、
そういった、地続きじゃなくとも“同じ次元空間”の中でなく、
近いが遠い他次界…という、
そんな“お隣り”の次元空間へ移動したということは、

 「負界との境目、反転次界壁を通過してやって来た来訪者に違いない
  この上ない証拠であるとともに、
  いつどこから顔を出すかも判らない。
  そう、予測は不可能だということです。」





     ◇◇



 『ただ、
  短い間とはいえ、監視観察して得たデータからは、
  瘴気そのものに意志や意図があるとは思えない。』

微細塵芥から光まで、触れたもの皆 腐食させたらしいけれど、
そのおりに、体積が同じほど減りもしたそうで。
意志あるものが そんなあからさまな自滅を望むというのは矛盾しており。
よって、

 『攻撃性があるかないかは別にして、
  侵略だの大それた意図があっての訪問ではなさそうという確率が、
  八割以上だということなんでね。』

そこで、
大天使たちのみならず、主天使も能天使も駆り出しての配置につけ、
総身にたたえし聖の光にて、相殺聖浄をと構えることとなったらしく。

 “…ルシファーが言ってたのはこのことか。”

ややこしいもんが跳梁してるらしいじゃねぇか。
しかも神出鬼没だ?
そんなもんがひょいひょい顔出して、
こっちの統率まで掻き回されんのはごめんだから、
しっかり踏み潰せ、と。
ミカエルのところへ、
短気な彼らしい意味不明なメールを寄越したのだそうで。
さすがは元・大天使長だけあり、
いち早く怪しい気配に気づいていたらしいものの、

 “堕天した彼には出来ないこと、だから。”

 対処法は一つ。
 この身にたたえられた聖なる光でもって相殺すること。
 配置的にも、光の総量的にも、頭数は揃えられるだけ揃えたので、
 どっからでもかかって来なさいという状態ではあるものの

ただ…それだと、
太刀を構えても追い返せる相手じゃなさそうだということでもある。

  だっていうのになんでまた、こんな仰々しいカッコを、と。

我々は殲滅戦に出てゆくのですか?と
意に添わぬことへの嫌悪を言い立てたイエスだったのへ。
ウリエルが恐れもなくの重ねて言ったのは、

 『この機に乗じて、どんな存在が乱入して来るやもしれません。』

それへの対処は果たして光をかざす“聖浄”だけで済むものか。
そのための装備と思うて下さい、

 “…って、言われたけれど。”

だとしても、それじゃあどうやって戦えというの。
ショムジョならともかく、
こんな仰々しい武装していて説法もなかろうし。
ああ、ブッダなら王子時代には剣術の心得もあったというのに、
…って、いやいや今ではわたし以上に通じぬ禁忌だ、戦うなんて。

  などなどと

今更な話まで思い出されてしまい、
キィとなりかけては、いかんいかんとかぶりを振るのの繰り返し。

  ……何だろ何でだろ、ひどく落ち着けない。

自分でも、何でこんなと、
子供みたいに色々と気が散ってしまうのかが不審でならぬ。
磔刑の前夜だって、ここまでひりひりはしなかった。
見渡すどこにも見えない相手、いまだ気配さえ届かぬ相手。
こうまで仰々しく構えながら、
だのにそんなまで掴みどころのない相手だからとの焦りから、
こうまで苛立ってしまうのかな。

  もしかして、怖い、のかな。

うん、それはあるかも知れない。
私、こう見えて土壇場に強い分、その手前の緊張にはすこぶる弱いしね。
でもね、それはそれこそ今更だし。
それに“怖い”というのとはちょっと違うと思う。


  だって私は、帰るのだから。


ブッダの待つあの部屋へ戻らなきゃいけないのだから。
昨日と特に変わりない明日、
そうだったカラオケしに行くんだったよね。
だから、





 「お前なんかに、あの星と大地を、
  好き勝手に蹂躙なんてさせるもんかっ。」


その肩や背中をおおう、深色の長い髪が、
青みをおびた淡い雷光を孕み、裾からじわりと浮き上がる。
彫の深い風貌が、いつになく冴え映えて、
玻璃の双眸に宿るは、鋭く強い、豪胆なまでの意志の輝き。


 「来ますっ。」

統括管理の聖堂も
素早く探知した気配へ一斉に注意が払われてのこと
慌ただしい空気となる。
あらゆる空間への探査の手を網羅する光版を操作する能天使らが、
その位置を絞り込んでゆき、
結果を弾き出せた者からの動揺が
ひときわ大きな波のようになってホールの中を駆け巡る。
というのも、

 「イエス様の正面ですっ。」

特別扱いはされぬままの、
よって、特に突出してもいなかった位置におわした神の御子。
もしやして、
ひときわ強く清涼な光だとあって、逆に惹かれたということか。

 「何てことっ。」
 「誰か接近に気づけなかったのかっ!」
 「裏次界にあたる“虚無海”を渡っての、座標へ直接の出現ですっ。」

聖堂が混乱に大きく揺らいでいる以上に、現場もまた、
波立つような騒乱を受けて大きく揺れ動いており。
さすがは、実戦専任の顔触れが多いだけあって、
統括室からの報告を待つことなく現況は素早く受け止められていて、

 「…っ!」

俊敏さに懸けてのこと、指示も待たずに配置から飛び立つ者、
発つおりに周辺の仲間へ
“咒の得意な顔を集めよ”と指示を出す者がまずはと動く。

 「ウリエルっっ!!」
 「煌熾光の陣幕を張れっ!」

その姿さえ捕らえられない素早さで、
天穹の端と端というほども遠かった破壊天使が
真っ先に到達しそうではあったれど。
それでもやはり、この距離は憎々しくて。

 「イエス様っ!」

遠くに近くに、居合わせるか、あるいは目撃している天使たちの、
沈痛な悲鳴が怒号のように上がる。
確かに、光をたたえた身なればと、
負性質への盾になるのが目的ではあったけれど。
それは、此処に集いし全ての天使らで、
寄ってたかって取りついてという格好で放射を重ね、
負の瘴気への相殺という手段をと構えていたまでのこと。
少しでも勢力が弱まれば、
そのまま“合(ごう)”という複雑極まる錯綜結界を張り、
そこへ封じて終生の監視をつけんというのが、天乃国陣営の策だったのに。

 「お一人では無理ですっ、避けてっ!」

いくら我らが御主、神の御子様だとて、
突然ぬうと、しめやかな漆黒の穹を侵食しつつ現れた瘴気には
気づくことも適わなんだようであり。

 周囲の漆黒とほのかに領域の異なる暗雲は、
 その身へ細かな雷を思わす放電を帯びてもいて。

見るからに不吉で不気味な瘴気の塊。
唯一の救いは、本体の進みようが存外遅く、
また、容積領域が広がりはしないということのみか。

 「…。」

そんな凶悪な瘴気の正面に、立ち尽くしておいでのヨシュア様。
あまりに突然の事態ゆえ、気を飲まれての動けぬものかと思われたが、

 相手を余すことなく取り込みたいか、
 その身を出来るだけ大きくと、

両腕両脚という四肢をも広げての、
総身でもって立ちはだかるイエスなのへは、

 「何てことをっ」
 「イエス様っ!」

聖堂という遠隔にいる我が身を悔やみ、
頭を抱え悲鳴を上げる文人天使らを追い抜いて。
遅れを取ったことこそ恨めしいと顔を歪め、
鉾や大剣を手に手に、戦天使が次々殺到せんとしたけれど。

 「いやぁあっっっ!」
 「イエス様っ!」

その背をおおう豊かな髪が、宙を泳いでゆったりとなびいて見えたは、
忌まわしき瘴気の禍々しき深色が、
彼の高貴な御身をくるみ込まんとし、触手のように及んだせい。
その総身が深みある漆黒へと飲み込まれかけたその刹那、


  き…………きぃぃいいぃーーーーんん、と


どこか遠くから近づいてくるような
ゆるやかな波打ちをおびた、不思議な金属音が鳴り響く。
耳を引っ掻くような不快さはなく、
ともすれば涼しくも吸い込まれそうな、
それでいて、ぐいぐいと身に迫るような、
そんな不可思議な臨場感をおびた音であり。

 “…あ、この音。”

さっき邪魔っけだなぁと揺さぶった、いかつい鎧と対極のもの。
武器も鎧も何もまとわず、
自身の強靭で真っ直ぐな意志と眼差しだけで、
大きな慈愛と嫋やかな抱擁力のみにて。
何でも包括し、理解し、和合せんとする温かな想いが、
それはそれは遠いところからやって来て、
イエスの背をとんと押さんと届いたような気がして。

 “ああ凄いね、君ってば。”

ごめんね、ちょっとだけ、
私、君のところへ帰れないかもって弱気になった。
でもね、もう大丈夫だよ。
ちょみっと大怪我するかも知れないけれど、
帰るのに思わぬ日数がかかってしまうかも知れないけれど、
君だってホントは嫌いなお留守番して、待っててくれているのだもの。
必ず戻るからね、もう少しだけ待っててね…。









   〜Fine〜  13.09.04.


  *お疲れ様でした〜。


                   次話
心の音色 

ご感想はこちらへvv めーるふぉーむvv


戻る